秩父前衛派はこの3日間独自に秩父調査&取材をおこなった
調査の途中では 崖から落ちそうになったり
雪で転んだり
地域の人と話したりして 本当に色々なドラマがあった
行った所は
・八人峠
・首切り岩
・煤川集落
・石間集落
・沢戸集落
・丸神の滝の手前(雪&熊が恐くて途中まで)
・煤川にある小学校(廃校)
・太田部林道の途中まで
などなど
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秩父前衛派の調査結果を発表します
秩父市内というのは 秩父でありつつ
「秩父文化の抜け殻」である、という結論になった
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また、この調査をして僕はある1つの疑問を持った
それは
「近代化した社会の中にも人々の生活はあるのに、そこには生活の歌がないのはなぜだろうか」
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近代化にともなう社会の動き、ビジネス、行政の動きとしての秩父は今の秩父の中心地にあるが
「本質的要素」としての秩父は 中心地以外の地域にある
つまり、表向き、ないし表面的な秩父は市内にあり
秩父の精神性は山間部に存在している
という事
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いつも書いている事だけど
秩父の山間部には神がいる
(「神」でも「精霊」でも言い方はなんでもいいが)
山間部は信仰が強い
秩父各地で年間に尋常ではない数のお祭りがおこなわれている事がそれを物語っている
そういう秩父を見ると色々な意味において人々の生活がつまっているのを感じるので 感動する
貴重だと思う
他の県、地域はどうなのだろう?
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雨乞い歌、機織り歌、神楽、獅子舞、麦打ち歌、のような
生活の中の歌も 生活する人がいなくなると同時に消えてゆく
近代化した社会にも生活はあるのに、生活の歌は生まれない
しかし、だからと言って
それを止める事はできない
秩父山間部の「過ぎた時間」の事を思うと何とも言えない気持ちになるのは
ただ単に僕がいま秩父に住んでいるからだろうか?
僕が秩父前衛派として秩父のためにできる事はもちろん何もないけど
このリアルに存在している「本質的要素」「地域性」「生活」
「地域のコスモヴィジョン」「人々のコスモヴィジョン」から学び
何かまったく別のものを作る事は可能だ
そのために、この勝手な調査を続ける必要がある
僕は主観的に武甲山を描いたり、秩父の町を描いたり
そういう事はできない
できるのは客観的アートだろうか
・グローバルでありながらローカルであり秩父でありどこでもない過去でありいつでもない音楽の創作
以上が調査報告です
ご協力いただいた地元の方々
上原さん 竜水先生
道を教えてくれた 通りすがりのおばあさん おじいさん
犬の散歩途中のお姉さん おじさん
親切な対応に感動しました
多くの発見と新たなチャンスをみつけました
どうもありがとうございました!