2017.09.17

2017年9月29日〜10月9日まで、千葉県の市原湖畔美術館にて展覧会をおこないます。
メディア用に書いた展覧会のプレスリリースをここへ掲載します。
美術館のHP: http://lsm-ichihara.jp/20170929

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秩父前衛派展

秩父前衛派は奥秩父山塊を背後に感じながら2009年に活動を始めた。
活動以前に、笹久保伸と青木大輔が中学時代の夏に秩父郡大滝村の中津で出会いそこからすべてが始まった。

秩父前衛派の追いかける「前衛」は秩父の土着精神、民俗文化、
盆地の生活から生まれる思想に内在する前衛性や奥秩父山塊から見て前衛に位置する山=独立峰「武甲山」の立ち位置(存在)
がコンセプトであり、それらを追いかけて日々野山を駆け巡りながら秩父の「前衛」にフォーカスする作品群を発表してきた。

今回の展示は秩父の象徴である神の山と言われながらも破壊されて続けている『武甲山』の破壊と記憶にフォーカスしている。
古くから秩父の信仰的な山である武甲山は日本の経済成長の裏側で山肌が採掘されてハリボテ姿になった。武甲山は石灰岩で、セメント鉱山の山である。

武甲山という問題を前にする時、我々の時代においての産業、環境、信仰とは何なのか、また、神の存在とは一体何なのかという事を考えさせられる。
都市の発展の裏側では田舎地域の神的なものは爆破され「神」「環境」「地域の心」は経済に否定され続けている。
しかしこれは小さな田舎町の問題というわけでもない。
僕らが秩父の「武甲山」に見ているものは、地球上の文明の裏側の風景でもある。
資本の運動がヒューマンスケールを遥かに超え、その大きな車輪が坂道を転げ落ちながら自然も山も森も神も人間の心も踏みつぶしながら進んで行く(落ちてゆく)様子、
自然資本経営による文明の発展とその裏側で破壊され続ける世界中の田舎の風景が武甲山から見えてくる。

僕らは爆破される武甲山を日常風景として見ながら育った。
いわゆる「神」のような存在、つまり信仰の対象を爆破するのはテロリストだけだと思っていたが、
「経済」を理由に「神」=自然、山、森は爆破されているということを武甲山を通じて知った。
テロリストが信仰の対象を爆破するというのは、信仰の対象(石仏など)を爆破することによってそれを信仰している人々の心を破壊するという意味を持つ。
信仰の対象を破壊をする事情や目的は違っても、秩父の象徴である神の山『武甲山』が破壊されるということは、
数千年もの間この山に祈ってきた秩父盆地の人々の心が破壊されたという意味を持つ。

地域の象徴である神の山が爆破されている風景、それは「神殺しの風景」である。
普通に考えれば神は爆破すべき存在ではない。だが秩父では毎日爆破している。
もはやそれは芸術作品よりも「前衛的」ですらある。
そのような特殊(異常な)環境で育った秩父のアーティストたちはいつしかその「記憶」を辿り直しアート作品へとアウトプットし始めるようになった。

笹久保伸(秩父前衛派)2017年9月

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