【武甲山・百年の孤独】
1918年に浅野セメント東京工場所属秩父鉱業所が上影森に開設され、秩父鉄道と浅野セメントの協力による武甲山開発が本格化した。
(上武鉄道の開設により武甲山のセメント出荷は1915年からおこなわれているが、上影森に鉱業所ができたのが1918年。)
今年で武甲山を破壊・出荷して100年が過ぎる。一世紀。
発展の100年といふべきか、破壊の100年といふべきか。
しかし100年破壊して、この程度の町、そこに愕然とする。
母なる山・武甲山を採掘すれば豊かになると言われて採掘しても、
秩父が日本有数の財政豊かな地域になったわけでもなく、むしろ秩父は貧しい。
100年破壊し、秩父の経済、教育、文化、どれも特別輝く物はない。
これを前に「武甲山のおかげで発展した」とは言うのはあまりに無理がある。
これは何のための、一体どこへ向かう環境破壊なのか。
秩父地域の未来ヴィジョンが、ない。
秩父の信仰の山「武甲山」は保護条例が必要です。
この山は地域のシンボル(象徴)。
破壊などしなくても秩父は縄文時代からこの地でこの山と共に生きてきた。
2億年の山をたった100年で残骸にしてみて、君たちの心に何が残った?
この近代史から秩父は学ぶべきだ。
https://style.nikkei.com/arti…/DGXMZO21571970W7A920C1000000…

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