2012.10.29

もう10月が終る
すると2012年もあっという間に過ぎ去るのだろう

今週末から山形で2つコンサート
・山形テルサ
・鶴岡市の金浄寺
の二カ所で演奏
南米音楽、自作品、現代音楽少し
を弾く
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「音楽家のこぼれ話し1」

音楽創作活動とは別の話で
「演奏活動」をすると言う事は
ある種 客商売的な一面もある
それは主催者から「依頼」されるからだ
依頼されるとお客のニーズに応えなくてはいけなくなる
<依頼に応える>
それはアーティストの墓場とも言える
あまりニーズに答え続けていると 職人ではなく芸人になっていく
しかし 演奏活動で生きるためには仕方の無い事でもある
だからそういう演奏はやめたい と思っている
常に変わっていく音楽をやり続けたいが 常に変わっていくと言う事は
自分のフィールドを持たないと言う事を意味し
つまり自分の場所がない という事にもなる
それは=演奏で生活ができないという事を指す
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音楽家のこぼれ話し2
「応援は むやみに してはいけない」

よく 「君を応援している」
というような人がいるが
それは一見 ありがたい
しかし本当はそれは必ずしもありがたいとは限らない
つまり「君を愛してる」と言われても
ありがたい場合と そうでない場合があるのと同じだ
以下の文の「応援」を「愛」に変えながら並行して読むと意味がわかるだろう

応援するのであれば 心から応援してほしい
無責任に中途半端な応援のしかたをされると 
応援になるどころか 結果的に迷惑になる場合が多い
「応援する」と言うのは大変難しい事なのだ

がんばっている人を応援するのは簡単な事だ
しかし そのがんばっている人に 才能がなかったらどうする?
応援された人が困るのだ
がんばれ!!とさんざん応援されてがんばったあげく
いつしか自分に才能がなかった
と自覚した日には 悲惨だ

がんばるという事は やる気になればできること
しかしいくらがんばっても、「才能」は身に付かない

応援する側も無駄に応援してはいけない 
応援する人はよく勉強し 誰を応援するか見極めなくてはいけない
本質を知らずに むやみに応援するのは危険だ

私を応援しようとしている人も
くれぐれも気をつけて下さい
私を応援したところで 何もいい事はありません

(注:これはジョークです)

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